福原愛さんの旦那さんである江宏傑(ジャンホンジェ)さんとの離婚報道や不倫報道が話題になっていますね!
福原愛さんといえば、4才の頃にテレビで有名になりましたよね!
泣き虫愛ちゃんの愛称で日本中から親しまれていました。
小さい頃から両親に英才教育を受けていたので、どんな家庭環境だったのか気になる人は多いと思います。
福原愛さんが結婚する前には、父親の姿が見当たらないなと思った方も多かったのでは?
実は、福原愛さんは父親と絶縁状態だったといいます。
そこで気になるのは「福原愛の父親はどんな人?」「父親と絶縁した理由は?」だと思います。
今回の記事では
「福原愛の父親は現在はがんで亡くなった!父と絶縁状態・決別の理由は借金」
についてまとめてみました。
この記事で分かること
●福原愛の父親は現在はがんで亡くなった!
●福原愛と父親は絶縁状態だった!
●福原愛と父親の決別の理由は借金
Contents
福原愛の父親は現在はがんで亡くなった!
福原愛の父親である福原武彦は2013年にすい臓がんで亡くなっています。
享年71歳でした。
「父がいなければ私は生まれてくることもなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方が応援してくださる環境があることも、父の影響によるものが少なくありません。そういったことについては、父に感謝しております」
引用元:東スポweb
実の父親が亡くなった事について書面でコメントを出した福原愛さん。
04年アテネ五輪、08年北京五輪ごろまでは実の父親であった福原武彦氏が「参謀役」と言われていました。
しかし、09年ごろからその関係が変わってきたようです。
複数の関係者の話によると、福原愛さんはそれまで絶対的な存在だった父から完全に自立を模索し、新たな練習方法で戦う道を選んだといいます。
小さなころ、テレビに映る福原愛さん一家は厳しくもあり愛があふれていた家庭だったのかなと個人的には思っていました。
一体、福原愛さんと父親である福原武彦氏との間に何があったのでしょうか?
福原愛と父親は絶縁状態だった!
4才の頃から福原愛さんと父親である福原武彦氏は、厳しい練習をしている姿がテレビで放送されていました。
いつ頃から会わなくなっていたのでしょうか?
福原が天才少女として名をはせた裏には、大胆な発想と行動で強化を進めた父の存在があった。練習方針はもちろん、小学低学年のうちから移動中の高速道路の車内で“特訓”。すべての対向車のナンバーと地名を読ませ、動体視力と記憶力を養わせるなど、生活のすべてを卓球につなげた
引用元:東スポweb
2008年から福原愛さんと父親の福原武彦氏とは一度も会っておらず、メールのやり取りもしていなかったようです。
2008年といえば福原愛さんが北京オリンピックに内定した年ですね。
最年少で代表になりプレッシャーも大きかったのではないでしょうか。
代表になった年から連絡を取らなくなったのには何か理由があるのでしょうか?
04年アテネ五輪、08年北京五輪ごろまでは武彦氏が“参謀役”だった。しかし、09年ごろからその関係が変化したようだ。複数の関係者によれば、福原はそれまで絶対的な存在だった父から完全に自立を模索。新たな強化方法で戦う道を選んだという。
幼いころから英才教育を施してきた父と大人になった娘。想像以上の感情的な行き違いもあったということだろう。武彦氏は近年も福原が出場した試合会場に姿を見せることがあったが、誰とも接触することなく、最上階の席からただ試合を見つめていたという。
引用元:東スポweb
福原愛さんは北京オリンピックに出場しましたが、メダルは取れませんでした。
このままではいけないという思いから、今までの通り父親である福原武彦氏に学ぶよりも自分で新しい環境に飛び込んだのかもしれませんね。
もしかしたら、福原愛さんは北京オリンピックあたりまで自分の試合や練習方法に対する思いを秘めていたのかもしれません。
報道では「感情的な行き違い」とありますし、福原愛さんが「試合勝ちたいけれど、このまま父親である福原武彦氏に教えてもらっても前に進めない」と試合に勝てなかったことで思っていたのかもしれませんよね。
そのあたりが福原愛さんと父親である福原武彦氏の決別の理由の一つになったのかもしれません。
福原愛と父親の決別の理由は借金
結論からお伝えすると、福原愛さんと父親である福原武彦氏が絶縁した一番の理由は借金です。
卓球の愛ちゃんまで父親と5年も音信不通!【無縁社会、増々拡大中】離婚を煽る女性利権のNPO・弁護士・男女共同参画に、福原愛と彼女の母親・母方の親戚が洗脳されたかねぇ。 http://t.co/P19Qt2iqKJ 福原愛の父・武彦さん 6日に膵臓がんで死去 5年間音信不通
— 知足 (@KazenoChisoku) October 17, 2013
福原愛さんの父親の福原武彦氏は、不動産会社の「福原産業」を営んでいました。
代表は妻の福原千代さんが務めていましたが、経営がうまくいかず倒産してしまい、1億5600万の借金を背負うことになりました。
福原愛さんはその借金を返済するために、ミキハウスと専属契約を結びました。
1本3000万のCMにも出演しましたが、借金返済に全て使われたようです。
「中国のテレビ番組に出演した福原が、中国人インタビュアーに『家族全員の稼ぎを担っているそうですが、大変ですか』という質問を受けて泣きだしてしまったこともありました。そこで家族が案じて、以降は長男の秀行氏がマネジメントを担当するようになった」(前出・記者)
引用元:Asagei plus
これらのことから、福原愛さんは福原武彦氏が亡くなるまで会うことはありませんでした。
もちろん、借金だけが原因ではなかったとは思います。
福原愛さんは小さなころから卓球に人生をささげて生きてきました。
それらは果たして本当に福原愛さん自身が望んだことだったのでしょうか?
もちろん、父親である福原武彦氏が「卓球」という選択肢を与えて、福原愛さん自身がそれを続けるという事を望んだ結果なのでしょう。
しかし、福原愛さんが犠牲にしたものは自分の人生。
普通の女の子として過ごせなかったことに何かしらの思いがあったのではないかなと思います。
まとめ
今回は福原愛さんと父親の福原武彦氏の関係について紹介していきました。
武彦さんが借金を背負ったことにより、愛さんが様々な番組やCMにでて借金を返済していたけど、限界が来て絶縁することになりました。
プロ選手として活躍している裏側では色んな出来事があったんですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!